第4回オンラインセミナー

公開:2020年10月9日
発行:COMOLY

ひきこもりの生きづらさ苦しさを分解して楽に生きる方法

講師:深尾 和正 氏
選択理論心理士

2020年9月15日、 第4回目となるCOMOLYオンラインセミナー を開催しました。

講師は、 「選択理論心理士」深尾 和正ふかおかずまささんです。

テーマは、 「ひきこもりの生きづらさ苦しさを分解して楽に生きる方法」です。

今回の記事は、セミナーに参加して頂いたCOMOLY登録者の 「ソウ」さんに、お仕事として執筆を依頼し、当事者の視点から、内容の要点と感想をまとめて頂きました。

それでは、ご覧ください。

1.選択理論心理学とは

「人間は、いかに行動するのか?それはなぜか?」ということを『人間の一連の脳の働き』から説明する、アメリカの精神科医「ウィリアム・グラッサー」博士が提唱した、 心理学的な理論。 性別、国籍、人種、年齢、時代、環境を問わず、人間が存在する、あらゆる事象に適応が可能。


引用:日本選択理論心理学会のWEBページ()より


2.深尾講師の「ひきこもり」に対する捉え方

人間、生きていれば落ち込む時もある。「ひきこもりである事の、何が問題なんだろう?」と違和感があった。


「ひきこもりの生きづらさ、苦しさを分解して楽に生きる方法」

今回のタイトルである、この文章の主語「ひきこもり」の部分を消して、

「生きづらさ、苦しさを分解して楽に生きる方法」

とすると、途端に、「ひきこもり」だけの問題ではなくなる。


「ひきこもり」の部分に、違うもの(例:社会人、日本人、先進国、現代人、私)を入れてみると、それぞれに意味が通じる。つまり「生きづらさ、苦しさを分解して楽に生きる方法」は、ひきこもりに限った問題ではない。


3.ウィリアム・グラッサー博士の考え方

「人間はどのように動機付けられ、どのように現実を認知し、どのようにして行動するのか」、それには「外的」と「内的」がある。


「外的」 - 人は外側の刺激によって動機づけられる。【例】会社の先輩から、腕立てをしろと言われてやる。

「内的」 - 人は内側から動機づけられる。【例】深尾講師が、自分で話したくて、今回のセミナーに講師として参加している。


「内的」な要因から動いていた方が、人間は幸福である。


4.実践的な選択理論心理学

選択理論心理学では、「すべての出来事は、自らの思考・行動の選択の結果である」と考える。

一見すると、「全て自分の責任」と厳しい自己責任論に思えるが、逆に言い換えれば、自分の人生は「自分の選択で、何にでも変えられる」ということ。

人間の願望とされる「上質世界」という概念がある。これは、「生存の欲求」「愛・所属の欲求」「力の欲求」「自由の欲求」「楽しみの欲求」の5つで構成される。

「上質世界」の願望から、スイッチがONになり、「動機づけ→現実の認知→行動」へと移る。そして、動機づけには、外発的と内発的がある。自分が行動している時、それは外発的なのか、内発的なのか、意識する事が大切。


1人ひとり、それぞれ「答えは私が持っている」ということ。

そう言う意味では、内発的動機付けが健全である。「答え」と聞くと、外側の「終着点」をイメージしがちだが、深尾講師の考えは全く逆で、「答えは、生まれた時から自分が持っている」と認識している。何が答えか分からなくとも、「何をしたいか?」は分かるはず。


5.「生きづらさの要因」2つ

1つ目は「境界線」。「AとB」(例:A:ひきこもり B:そうじゃない人)、このような両者の「境界線」が、生きづらさの原因ではないだろうか。偏見も、分け隔てた所から始まる。

A:精神性 (例:修行、宗教)

B:物質性 (例:お金、物、地位・名誉)

という分け方をした時に、「世界」(社会)という要素を加えると、

A:精神世界

B:物質世界

となり、境界線は強まる。けれど、誰もが A も B も、両方とも持っている。どちらか一方ではない。


2つ目は「相対性」。 相対性とは、相反するものとの関係のなかにある性質のこと。すべては「二つの相反するもの」で構成されている。

相対性と認識できないことが、生きづらさの要因になっている。相反するものに、意味づけをしないことが大切。

A:自分は落ち込んでいる

B:あの人は元気

意味付け:自分はダメな人間だ

このように意味づけをすると、「私なんか価値はない。」「友達は元気なのに私は落ち込んでいる。」というサイクルに入ってきてしまう。なので、もし落ち込んだら、自分を俯瞰してみて、ただ眺めている感覚になれたら、捉え方が変わるかもしれない。


6.深尾講師の「不登校」と「精神修行」

小学校の頃、転校が切っ掛けでいじめられ、学校へ行けない時期があった。

社会に出てから、身の周りで自殺する人達を何人も見て、「ひきこもる必要がある社会」だと思っている。

奥様と選択理論心理学を学んだ後、1人で生と死について学ぶため、陰陽師としての修行や、出家したヒンドゥー教と仏教での学びや気付きから、深尾講師は自身の「精神性」と「物質性」、両者の「相対性」を認識しつつも「境界線」は無く、(表裏一体で)包括し統合されている感覚を持っている。


7.「他人との比較」から解放される方法

「赤いリンゴを考えないでください。」と言われると赤いリンゴが頭に浮かぶ。ここでいう赤いリンゴは「他人」。

1人でいると、「他人」の事ばかり考えて比較してしまう。

この状態から逃れるには「他のもの(例:レモン)を考える」こと。ここで言うレモンは「私」のこと。

ひきこもっている1日の中で、「私」についてを考える時間はどのくらいあるのか? しかし、「私」を考えることは、辛いことである。


8.「私」を考える辛さを乗り越える方法

『ファインディング・ジョー ~英雄の法則~ 』という、深尾講師の好きなドキュメンタリー映画がある。

この「英雄の法則」は、 神話学者ジョーゼフ・キャンベルが世界中の神話を研究する中で発見した、世界中のどの神話にも共通する物語の流れや構成のパターンとされている。

それは、上図のように1~12の順序で、3つの領域と、1つの境界線の中で展開される。


英雄が、我々が知っている有名なヒーローではなく、我々自身、1人ひとりだとした時に、各々の人生は「英雄の法則」のサークルを回っているのではないか。 「ひきこもり」を自ら選択しているとした時に、「英雄の法則」のどこに当たるのか。そう認識した時、今が雨だとしたら、 いつか必ず晴れると思えるのではないか。


9.ひきこもりは「魂の成長」の選択?

仏教の象徴である蓮の花には「土の中、茎、つぼみ、蓮の花」と成長のステージがある。

人間に例えれば、土の中にいる時には、地上で咲いている蓮の花を羨ましく思う。けれども、それは誤りで、地上の花は花で辛いことがあるし、土の中は土の中で辛いことがあるのだ。


「あなたは、土の中で学ぶ必要があるから、土の中にいると言うことを分かっているのか。」「土の中だろうと、地上の花だろうと、辛さは一緒だ。」


そう仏門で教わった深尾講師は、一般的な「社会生活」と、「ひきこもり」を通じた内面の葛藤には、時間や程度にかかわらず、同じくらい価値があるという。 輪廻転生の中で「人格、魂を成長させる為」、それが生まれてきた目的であって、物質的な豊さを大きくしていくことではない。


10.神は乗り越えられる試練しか与えない

「神は真実な方ですから、あなた方が耐えられないほどの試練に会わせることはしません。むしろ耐えられるように、試練と共に脱出の道も備えてくださいます。」 (聖書の原文:コリント人への第一の手紙 10章13節)


ひきこもっている方々が、「社会のせい、親のせい、環境のせい」とずっと他責していたならば、試練と共に、脱出の道も備えられていることを見失って しまうかもしれない。


「ひきこもり」という試練は、「私」にとって必要であり、神から与えらたのだ。そう「感謝」する事で、救われるかもしれない。

ひきこもっている1日の中で、「私」についてを考える時間はどのくらいあるのか? しかし、「私」を考えることは、辛いことである。


11.「試練」から「感謝」に転換するためのヒント

精神科医ウィリアム・グラッサー博士は、

「あらゆる問題行動の本質は不幸感にある。なぜ不幸になってしまうのか?それは自分が重要だと思う人との関係が確立できないことに原因がある。」

と言われたが、人間関係を絶ってしまった不登校やひきこもりの当事者にとっては、つらい言葉だ。


そこで深尾講師は、その前提として「もう1人の自分との関係を築く」こと、そして、「その自分を大切にする」ことが必要だと言う。 自分がひきこもった時の「選択」、そして、これまで過ごした時間は,、自分に必要だったのだと、肯定的に捉えて欲しい。


12.最後に伝えたいこと - 「生活をちゃんとする」

深尾講師が、過去の精神修行から学び、今でも続けている事。

「朝起きる→窓を開ける→外からの空気を入れる→吸った空気を味わう→掃除をする」などなど。


単なる作業としてでは無く、1つひとつの瞬間の中で、自分の「生」を感じる事、味わう事。

そうする事に、深い学びがある。


セミナーに参加した筆者の感想

私も、以前は生きづらさを感じていた。振り返れば、それは自分が無意識のうちに「社会と自分」という境界線と、「他人と私」という比較があった様に思う。

その時は、自分が苦しんでいる原因に気付けず、ただ苦しみもがいていた。そして、上手く立ち直れないでいた。


深尾講師は今回のお話しで、生きづらさの要因が何かを深く探求する切っ掛けと、生きづらさを軽くする方法を、我々に伝えてくれたのではないだろうか。


ただ私には、ひきこもり状態にある人達が、「それを実践できるのだろうか?」という疑問が残った。

恐怖や自己肯定感の低さが原因で、自己の捉え方が変わったとしても、行動する段階までには至らないのではないだろうか。


私はまず、「本当に信頼できる誰かと繋がる」ことが大切なのだと思う。

自分の心に付着した暗い部分は、そのような人との関わりや、心のやりとりの中でしか、癒されないと考えるからだ。

まず、「生きているだけで良いんだ」という実感を、心の奥底で感じることが大切なのだと思う。


今回の記事は以上となります。お読み頂きありがとうございました。読者の皆様は、どのように思われましたか? 感じた事など、ぜひツイッターなどのSNSボタンから共有してみてください。


この記事をつくった人

Webエンジニア
釼持 智昭
編 集
ひきこもり歴6年半の元当事者。2019年7月からプログラミングを学び、 2020年1月に「COMOLY」を共同開発。他方面でも活躍。
COMOLY登録者
ソウ
執 筆
ひきこもり当事者。1年以上、作業所で php 学び続け、最近では COMOLY のプログラミング学習会にも参加中。絵や音楽が好き。